こんにちは、次郎作こと布施田泰之です。
先日、ネットで『「本が好き」はスキル』という素敵な記事があったので、
ご紹介したいと思います。
僕も元々はこういう風にさらっと読めて、かつ、その人の頭に残るような記事を書きたいと思っていたのを思い出しました。
以下は引用を交えながら、この記事に対する感想を書いていこうかなと思います。
「本が好き」というのはスキルだよね、と研究者の友人は言う。「しゃべりがうまい、とか、聞き上手とか同じでさ。」
「なぜ?」と私は聞く。
「なぜって、生まれつき本が読める人はいないし、訓練しないと本は好きになれない。」
「本好きが訓練の結果というのは本当?」
この記事の始まりはこのようになっている。
この会話はこの記事の筆者と「本が好きはスキル」と主張する友人との会話という設定がされている。
この会話が本当になされたものなのか、読みやすいようにこの形式をとったのかはわからないが、この形式のおかげで俄然読みやすくなっている。
「本が普通の人に行き渡ったのは、所詮ここ数百年。本能では本は読めない。テレビや音楽に比べて文字を読むことは精神的に負荷のかかる嗜みだ。あえてそれをするのは、…そうだな、納豆を食べるとか、くさやを食べるとか、ブルーチーズとか「臭い食べ物」をあえて食べる行為に似ているんじゃないかな」
「どうして?」
「臭い食べ物は、訓練、慣れによってそれを味わえるようになるからだよ。はじめは臭くて食べられない。でも慣れると無性に食べたくなる。本も同じだよ。」
ここまで読んで、確かに、と思った。
本能で本は読めない
本を読むのは臭いものを食べるのと同じ
なかなか大胆に比喩し、しかも言い得て妙だ笑
「なるほどね、それじゃ、意見を聞きたいんだけど、本を読まない人は、読めるようになったほうがいいかな?」
「納豆を食べなくても生きていけるよ。」
「そりゃそうだ」
「読む人は、好奇心が文字を追いかける面倒臭さを上回るひとだから、ま、嗜好品だよね。」
この後、この「本が好きはスキル」だと言う友人は、
「本は単位時間で得られる情報量が多い」から
「文字から情報を労せず吸収できる」ということはスキルなんだと主張する。
そして最後に、
本を読む習慣や嗜好のない人でも本は読めるんじゃないの?と問う筆者に、
「本が好きはスキル」と主張する友人が答えている。
「大人になってからは?」
彼はじろりと私を見ていった。
「ブルーチーズが嫌いな人に、それを食べさせろと?」
「まあ無理か。」
「個人的には、あんな美味しいものを食べずに一生を終えるのは勿体無いとしか言いようがないが、それを乗り越えようと思うかどうかは、結局本人の「知りたい」「体験したい」という強い動機からしか生まれない。でも、好奇心のない人は、自分の知っている世界だけで十分なんだよ。」
「そんなもんか」
「まあ、牡蠣が嫌いだった人が、「本当に新鮮で美味しい牡蠣」を食べて、そこから牡蠣を好きになった、という話はよく聞くけど、同じじゃないかな。「本当に面白い本」に巡りあえば変わるかもね。」
最後まで読んで、
「うわぁあ」と思った笑
昔自分が体験した「牡蠣が嫌いだったけど、バイト先の寿司屋で本当に美味しい牡蠣を食べさせてもらって以来、牡蠣が好きになった」という記憶と、
「本を読むのは好きだったけど小説はあまり好きじゃなくて、最近になって面白い小説を読んで以来、小説が好きになった」という記憶が思い出されて、
その2つの感覚がそういえばほとんど一緒だった!と感じたから。
自分が感じたこととか考えていたことを、見事言語化してくれる文章っていうのは、
やっぱり読んでいて面白いですね笑
頭のなかが整理されてすっきりした気がします笑
結構恣意的に引用してきてしまったので、気になった方はちゃんと元の記事を読んでみてください↓
「本が好きはスキル」
みなさんはどう思いますか?
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