研修医として働き始めて1ヶ月で気付いた「驚愕の事実」とその突破口らしきもの

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どうも、次郎作こと布施田泰之です。

 

毎日、朝6時半に病院にいき、夜8~10時に仕事が終わる、

という約15時間勤務の忙しめの研修医生活を送り始めて、早1ヶ月が経過しました。

 

1か月前、学生気分の僕は病院で医師として働き始めました。

 

右も左も分からないとは本当にこのことで、

いったい何をすればいいのか分からないし、

仮にこれをやってと明確に指示されても、

それをどうやればいいのか、全く分からない日々が続きました。

 

採血を失敗すれば手が震え、

足の付け根の動脈から採血しといてと言われても、やったことないと尻込みし、

ただの足手まといの時期が続きました。

 

1,2週間がすぎ、指示されたことくらいはできるようになってくると、

次の壁は「自分で考えて、自分に出来る仕事を進んでやる」ということに “気付く” ことでした。

 

学生のうちは、「お金を払って教えてもらう」というスタンスです。

 

しかし、研修医となると「お金をもらう代わりに、職場に貢献する」ことが求められる存在になります。

上の先生から頼まれたことや指示されたことだけではなく、

自分の頭で考えて「病棟業務や各検査や処置を、効率よく回すためにすべきこと」をしていく必要があります。

 

僕は働き始めて2週間目で、

「おいおい、今時流行りの ”指示待ち研修医” か?笑」

と上の先生にチクリと言われてやっとそのことに気付きました。

 

それから、1週間の流れやその日1日の流れを考えて、

「上の先生がしてるけど、自分にもできることは全部自分がする」といったことや、

「一回見たことは次は自分で出来るようになるくらい、注意して見る」、

「いつやってもいいことは、全部空き時間に終わらせておく」といったことを自分ルールにし、

懸命に仕事をこなしました。

 

すると、一緒に病棟の業務をこなす近めの上の先生からその働きが評価されるようになり、

「デキレジ(笑)」と呼ばれるようになりました。

 

しかし、それはただの病棟の雑用を効率よくこなす能力に対する言葉で、

次の壁は「患者さんの理解を深め、自分の頭で、その状態に対する評価をし今後の計画を立てる」ことでした。

 

ある朝突然、「じゃあ今日は研修医くんプレゼンしてみようか」と無茶ブリのようなものをされた時、

「患者さんの現在の治療法すら出てこないレベルで理解できてない」ことが露呈されました。

 

「デキレジ(笑)」と呼ばれ調子に乗っていた僕は、その時一度完全に心を折られました笑

 

しかし、それからは毎朝さらに早く病棟に行き、いつプレゼンの無茶ブリがきてもいいように、

患者さん全員の現在の状況を把握してから一日を始めるようにしました。

 

すると、慣れてきたことや、患者さんの状態を把握していることもあり、

徐々に1日の流れが予測できるようになり、さらに先読み出来るようになってきました。

患者さんの状態に対する評価やその後の計画らしきものも、

上の先生の話やカルテの記載、一般的なその治療法の流れを考えることでつかめてくるようになりました。

 

かなり病棟に馴染んできたと感じていました。

本物の「デキレジ(仕事の出来る研修医)」になる日も近いと感じていました。

 

 

しかし、

実は、題名にも書いた「驚愕の事実」にはこんなにも頑張って働いてきた、

この段階で気付くことになります。

 

その気付きは、ふとした瞬間訪れました。

 

「この患者さんは縦隔内に膿瘍があるから、今ゾシン(抗菌薬)使ってるんだよね。

 使い始めてもう3,4日経つな。あれ、菌の培養結果でてたっけな。

 もし特徴的な菌が出たら抗菌薬の変更を考えないとな。

 うん、おれちゃんと理解してる!」

 

 

 

・・・

・・・

・・・ん?

待てよ。

「そもそも、ゾシンって何系の抗菌薬だっけ?」

ゾシンがどういった機序で抗菌作用を示すのか、どういった菌に対して効果があるのか、など全く分からなかったんです。

 

 

そこで、

病棟の雑用が効率的にこなせるようになり、

患者さんへの治療の考え方が見よう見まねで身についてきているとしても、

「全く知識は増えておらず、全く賢くなっていない」

ということに気付いたのでした。

 

これは僕にとって驚愕の事実でした。

なぜなら

「おそらくこのまま勉強せずになんとなく仕事に慣れて、なんとなく治療して、なんとなくそれっぽいことが言えるようになっていっても、

普通に働けるようになるし、忙しさに身を任せればある程度の充足感も得られるし、働く場所を選べばお金ももらえるし、

多分そこまで人生困らない」

という感覚が半端なかったからです笑

 

正直、その感覚に身を任せるのも一つだと思いますが、

僕は個人的に勉強が好きなので笑、

休日に勉強するようにしました。

 

手始めに、「抗菌薬の参考書」「輸液の参考書」を読みました。

 

 

すると、次の日から目の前がパッと開けた感覚がありました。

 

いままでスルーしていた、患者さんに投与されている「抗菌薬」や「輸液」に対して、

理由付けや考察が出来るようになったからです。

 

それまでと同じように働いていて、同じように患者さんの把握をしているだけなのに、

今までより、より深い洞察が出来るようになりました。

 

 

なにか、

「あぁ、勉強ってこういうことだったのか」

と腑に落ちた気がしました。

 

「勉強しておくだけで同じことをするにしても、思慮の深さやそこから学ぶことが倍増する」ということを実感したんです。

 

それは、

予習しておかないと何をしているか全くわからず見ていても無意味に感じる手術が、

予習をしておくだけで手順やその意味が分かり、見ていても得るものがある手術に変貌するような、

そんな感覚です。

 

 

そんな時に、

父が昔言っていた意味不明な言葉が急に思い起こされました。

「勉強する意味って、なんだと思う?

 それはね、『明日をよりよく過ごすため』だよ」

 

中学とか高校の時にこんなこと言われても意味不明ですよね笑

 

でも、実はこれ、今の自分に置き換えると的を射た言葉で、

社会に出てからの勉強ってそういうものなのかも知れません。

 

 

 

 

ということで長くなりましたが、

今回気付いた驚愕の事実とその突破口らしきものを一言でまとめると、

「色々工夫して一生懸命病棟業務こなしたとしても、それだけじゃ大して賢くならない。

 ちゃんと系統立てて勉強しよう」

ですね笑

 

 

おそらく、今回の気づきに対策を講じても、

またすぐに次の壁や気付きにぶちあたると思います。

 

でも、そうやって1つ1つ成長していくことには意味があると信じてます。

 

1年後には自他ともに認める「デキレジ」になれることを願って、

日々精進していこうと思います。

 

 

 

読み返すとびっくりするくらいマジメな文章になっていますが笑、

この社会人/研修医として働き始めたころの自分の考えを残しておきたいと思って書きました。

もう24歳の社会人なので、真面目なことくらい書いてもいいですよね笑

 

 

こんな感じで、必死に社会人生活頑張ってます。

明日の1日の休みもずっと勉強しますよ!!!笑

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