連続での更新です、次郎作こと布施田泰之です。
今日は、最近はまって自伝や伝記を読み漁っていた「徳田虎雄」という人物に関して、4冊の本を読んだので紹介したいと思います。
徳田虎雄は、医療関係者なら知らない者はいないほどの巨大医療グループ「徳洲会」を1代で築いた日本の医療界の巨人で、名前だけでも知っている人は多いと思います。
しかし、いったい「徳田虎雄」とは何者なのか、ちゃんと知っている人はほぼいないと思います。
僕も、金に汚かった政治家?くらいにしか認識していませんでした。
徳田虎雄は、奄美群島の1つの徳之島というところに生を受けます。
小学生のころ、弟が激しい嘔吐・下痢をきたし、夜中に白目をむいて意識を失った時に、真っ暗の島を駆けていき医師に診察してくれるよう頼みますが断られ、その後も数人の医師に夜中の診察を断られてしまいます。
そのせいで、弟をなくした虎雄は、どんな人でも医療を受けられるようにしたいと医師を志します。
毎日16時間勉強する浪人生活を2年経て大阪大学医学部に入学、
その後医師になった虎雄は、
「生命だけは平等だ」を信条に、
鬼気迫る勢いで次々と病院を建て続け、それまで診察を受けられなかった土日夜間でもかまわず患者を診続けました。
「24時間オープン」
「お金に困っている方は、3割負担分の支払いも不要」
「患者からはみかん1個たりとも受け取らない」
などと、日本各地の医療過疎地に病院を建て続けながら、
おのれの理想の医療を実現しようと奔走します。
時には地域の医師会に猛反発をくらいますが、
地元の人々の根強い支持で医師会もねじふせ、日本中に病院を作っていくのでした。
このころに、徳田虎雄自身が書いた自伝が↓こちらです。
燃え滾るような医療への想い、
それを実現するために極限まで自分に厳しく徹底する姿、
当時の医師の態度を根本から変えてしまうような医療改革、
この自伝は徳田虎雄の若かりし頃の医療への熱情を感じたい人にはとてもおすすめです。
ノーベル医学賞をとった山中先生も、この”生命だけは平等だ”を読んで医師を志したと明言しています。
この医療にかける思いの激しさは、医師なら1度は読んでみるといいと思います。
その後、各地で医師会や政治に病院の進出を阻まれ、
「日本中に病院を作るためには、政治力が必要だ」と虎雄は決心します。
それから3たび、選挙に名乗りでるのですが、
この時に徳之島で大量のお金が動いたことはとても有名で、
候補者同士の名前をとって「保徳戦争」と呼ばれていました。
時代が違う、お土地柄が違う、とはいえビックリするほど数億単位のお金が飛び交い、選挙賭博が後を絶たず、選挙法違反で逮捕された人も多かったようでした。
政治での迷走がしばらく続き、
ある時虎雄はALSを発症します。
手足の自由が利かなくなり、いずれは呼吸する筋肉も動かなくなり死に至る、原因不明の難病です。
しかし、意識や感覚は最後まで保たれ、四肢が動かなくなり呼吸を人工呼吸に任せるようになってからは、眼球運動だけで意思を他人に伝えます。
その眼球運動のみで、徳田虎雄は巨大医療グループとなった徳洲会の最終決定をすべて担っていました。
まるでSFです笑
その眼球運動のみの虎雄にも取材し書いた伝記が、↑の本です。
綿密な取材の上で、各方面から見える徳田虎雄の姿をあぶりだした伝記ですが、やや虎雄批判気味の視点となっていました。
ただ、徳田虎雄の人生が劇的すぎてとても内容は面白く、著者の青木理も有名な著者です。
また、
↑この伝記は、浪人中の逸話や、海外に病院を建て透析センターなども作っていったことなど、ほかの本では触れてなかったような内容にも触れていて、1冊でも十分楽しめて、もっと他の伝記も読みたくなるような本になっていました。
若かりしころの伝説的カリスマ”徳田虎雄”から、
お金をばらまき政治で迷走している悪人”徳田虎雄”
ALSにかかり親族の手によって貶められたかつての巨人”徳田虎雄”までバランスよく描写している一番のおすすめの伝記が↓これです。
虎雄は「子孫のために美田を買わず」と豪語していたのにも関わらずALS発症後あたりから急激に妻や子供に徳洲会系列の権利を分け与え、
挙句の果てに共に徳洲会立ち上げから清濁併せ呑んできた右腕の能宗を切り捨てたことで反逆に遭い、
「徳洲会事件」として有名な、徳田一族がことごとく逮捕される事件が勃発したという一連の流れは、
一人の栄枯盛衰としては劇的すぎて、胸が苦しくなりました。
虎雄が、医療に専念していたら、ALSにならなければ、
などいろいろ考えてしまいます。
徳田虎雄が一人の医師として、医療界に一石投じた影響は、計り知れないものがあります。
また、若かりし日の医療に懸ける熱意も見習うところは多いなと感じました。
少しでも興味を持った方は、
とても面白い人生なので一度読んでみてください!