【第1話】国試直前医学生、ママチャリ東海道53次(東京→京都500km)の旅

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「友よ。私を殴れ。ちから一ぱいに頬を殴れ。私は、途中で2度、悪い夢を見た。君が若し私を殴ってくれなかったら、私は君たちと盃を交わす資格さえ無いのだ。殴れ。」

 

 

僕は「ママチャリで東京→京都(450km)を2泊3日で走破する」という無謀な計画を立てました。

そして、↓この記事で、

”ママチャリで、東海道53次(450km)を2泊3日で走ってみます”

2泊3日の3日目の夜に関西にいる友達との飲み会を予定している自分を、

友のために走る「メロス」になぞらえました。

 

東京→京都間(実走距離は500kmを超えるはず)を走りきって、

友との飲み会に辿り付いた僕は、文頭に書いたように、

奇しくもメロスと同じような心境になっていました。

「友よ。私を殴れ。ちから一ぱいに頬を殴れ。私は、途中で2度、悪い夢を見た。君が若し私を殴ってくれなかったら、私は君たちと盃を交わす資格さえ無いのだ。殴れ。」

 

僕は、どのタイミングで2度走りきることを諦めたのか。

そして、どのようにして、その危機を乗り越えたのか。

忘れもしないこの旅を、綴っていきます。

 


2015年12月17日 6:30

僕は、目覚めた。

と、同時に慌てた。

なぜなら、ママチャリで東京→京都を2泊3日で走りきるならば、早起きは必須だったからだ。

元々、5時起きでスタートするはずだったが、

昨晩気分が高揚して深夜2時まで寝付けず、寝坊してしまったようだ。

(4時間半眠れたから、よかったことにしよう)

寝坊をそう捉えなおし、僕は東海道53次の起点「日本橋」に向かった。

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午前7時過ぎ、「日本橋」をスタートした。

 

そして、上の写真を見れば分かると思うが、

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本当に、ママチャリだ

変速のためのギアもない、変哲もないママチャリだ。

 

このママチャリに、

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100均で買ったヒモで荷物を取りつけて、走る。

 

しかも、格好は、

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スウェットにダッフルコート

この装備で、500kmにもなろうとしている距離を走りきろうとしている。

正直、なめているとしか考えられない。

 

それでも、僕は京都に向かって走り出した。

「東京から京都まで、ママチャリで走ってみたい」から「東京から京都に向かってママチャリで走り出した」

シンプルなその一事を、行動に移せている自分を誇らしく思った。

 

人に無理だと言われたり意味が分からないと言われても、

自分がやってみたいと思ったからやってみる、

24歳になって未だにその純粋な好奇心を持ち続けている自分を褒めた。

 

 

 

はじめは、山手線の東側と並走するように南下していく。

時間がちょうど通勤時間とかぶったため、新橋・田町・品川あたりは多くのサラリーマンたちがいた。

 

(彼らは、僕がこのまま京都までチャリで行くなんてこと思ってもないだろうな)

 

誰も知らない秘め事を持っている、ということはこんなにもワクワクすることなのか、

僕は何食わぬ顔を作ってママチャリを漕いだ。

 

一日目は、元気だ。

あれよあれよという間に、

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品川駅(7km)

 

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横浜駅(29km)

 

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小田原 (80km)

 

と、特に苦しむこともなく漕いできた。

この時点で8時間ほど漕ぎ続けてきている。

実際、走っているときはなかなか大変だったが、

その後の苦難を思えば、この日は圧倒的に楽だったと言える。

そのことは、こんなにも豊富に写真を撮っているという事実からもうかがえるだろう。

(この後から写真は激減する)

 

この後、僕は東海道53次最大の難所「箱根」を攻めることになる。

現在の時間は18時ごろ

暗くなり小雨が降る中、僕の「箱根アタック」は始まった。

 

 

 

そう、

ここで僕は、1度目の挫折を味わうことになる・・・

 

続く

 

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