お久しぶりです、次郎作こと布施田泰之です。
数日前、太田西ノ内病院や東京医科歯科大学の研修終了式を終え、同期や1年目研修医との最後の飲み会を終えてきました。
2年間を振り返ると、色々なことが頭に浮かびます。
書きたいことは山のようにありますが、
備忘録としてはっきりここに明記しておきたい、
この2年間で思い知ったことは3つです。
1つは、「医者ってやりがいのある仕事だな」ということ。
2つ目は「かなり優秀な人すら、世の中にたくさんいる」ということ。
そして最後の1つは、「人は誰もが、病み、死にゆく存在だ」ということです。
1つ目についてですが、
「仕事のやりがい」というものは何故かゆとり教育で協調されていた内容で、
「給料じゃなく、やりがいで仕事を選びましょう」みたいなことを小学生の時から何回も聞かされ、
(なんだよ、やりがいって)
と個人的には穿った見方をしていたんですが、
働いてみて、少なくとも「医者という仕事はやりがいありまくり」ということを思い知りました笑
目の前の人が自分の診断・治療でよくなっていくところをみて、面と向かって「ありがとう」と言ってもらえるこの仕事は、この上なくやりがいのある仕事です。
しかも、自分が勉強すればするほど、腕を磨けば磨くほど、患者さんは良くなります。
ブラックな労働環境で少し心が擦り減った時もありましたが、
「医者としての仕事」の必要性自体には、一瞬も迷う必要はありませんでした。
このやりがいは、想像をはるかに超えていたので、ここに明記させてもらいました。
2つ目は、少しショッキングな気付きでしたが、
「メチャクチャこの人優秀だな!すごいな!」と思う先生が、
この世界では掃いて捨てるほどいる、ということです笑
何者にでもなれる、と目をギラつかせたあの日。
今では、必死に一事を成してやっと「何者」かになれるのか、と悟りにも覚悟にも似た感情を抱いています。
テキトーに人生を過ごしていたら、世の中にどんどん埋もれていき、
僕は「自分が存在する理由」を声高に主張することはできなくなってしまいます。
だからこそ、「自分の特性」と「自分のしたいこと」にもっと耳を傾けて、生きていかないといけないなと思いました。
最後の気付きが一番僕を変えたかもしれません。
今まで僕の周りには、元気な両親や、一緒に育った幼馴染たち、大学で出会った親友、など健康な人たちしかいませんでした。
それが、病院で勤務を始めて、毎日のように「病気」を目にします。
初めは「死」に対面し、衝撃を受け、拒絶し、忌み嫌っていました。
しかし、働いているうちにどんなに医療を施そうとどんなに健康に気をつかおうと、
本質的に人はいずれ、「病み」「死」にゆく存在だということを思い知りました。
これは、決して諦念ではありません。
むしろ、「医業」とはそういった人間の本質への抵抗の歴史なのだと、認識出来たことが大きな一歩だったと感じています。
そして、だからこそ自分や自分の両親、周りの友達の健康も永遠ではないことを知っています。
いつ、病気になり、死に直面するかもしれないこの人生を、
それが数年間だとしても、
無駄と思うことに費やすことは出来ない、と感じるようになりました。
あと1年、あと5年の人生だとしても、
僕はこの道を歩むだろうか、と日々自問しながら進路設定をしているところです。
「初期研修の2年間は、脇目もふらず勉強する」
これは、このブログでも宣言していた医学生の時に決めた自分との約束でした。
ある程度は、ちゃんと最後まで果たせたかなと思っています。
しかし、個人的にはブログに書くこともないような雌伏の時間でした。
ここから3年間は、成育医療センターで小児科の後期研修医として働くこととなりますが、徐々に勉強の範囲を広げて興味の赴くがままに走ってみようかなと思います。
最後に、2年前に医学部を卒業した時にも再掲した、大学4年生のガーナ留学中に僕が書いた文章を載せて終わろうと思います。
初期研修の2年間が終わる今も、あの時と同じ「さぁ、これからだ」という気持ちを抱いて、大空に羽ばたいていこうと思います。
それでは、2年間応援ありがとうございました!!
これからもよろしくお願いします!!
——————以下、「ガーナ、一考」————————
「希望とは、もともとあるものとも言えぬし、ないものとも言えぬ。それは地上の道のようなものである。
地上にはもともと道はない。歩く人が多くなれば、それが道となるのだ」 魯迅
小さいころ、目の前に広がる銀世界。
いつも誰も踏んでいないまっさらな雪の上を歩いた。
雪を踏みしめるその感覚が好きだった。その時のなんとも言えない音が好きだった。
はたから見れば、わざわざ誰も歩いていないまっさらな雪の上を好んで、ジグザグに歩く姿や遠回りをする姿は滑稽に見えるかもしれない。
それでもいい。
そして、僕はそんな人生を望んでいた。
「ガーナへの留学」
夢への第一歩。
僕にとっては、これはとてつもなく大きな一歩、
の、はずだった。
でも、違った。
ただの一歩だった。
いつもとたいして変わらない歩幅の一歩。
忘れていた。
「千里の道も足下より始まる」
そして、人は一歩ずつしか歩いて行けないのだ。
衝撃的なことはあった。
見慣れない風景があった。
得難い経験を得た。
しかし、僕はたいして変わっていない。
ましてや、世界は何も変わらず、残酷なまでにいつも通り廻っている。
僕はまっさらな雪の上を歩んできたと思っていた。
福井という雪国から一念発起して東京の大学へ来た。
大学では、敢えてガーナ留学を選んだ。
少し離れたところで人が、
「こっちに整備された、楽な道があるのに・・・」
「やめたほうがいい。雪の下は、落とし穴かもしれない。地雷が埋まっているかも知れない」
などというのを尻目に、
颯爽と歩んできたはずだった。
でも、実際にガーナに来て、ガーナで生活して感じたこと、
それは、
「今まで僕がしてきたことはどちらかというとただの「奇抜な乗り換え」に過ぎないのかもしれない」
ということである。
そこには確固としたレールが存在した。
その上を行けば、安全安心で楽に今まで見たことのない風景が楽しめる。
東京医科歯科大学での学生生活はもちろん、
ガーナ留学だって、
教授が建設し、3年も前から先輩方によって固められたレールだった。
ガーナで3カ月研究するだけで、「何かすごいことをするんだ」って勘違いしてた自分が恥ずかしい。
僕はちょっとガーナ行きの電車に乗り換えただけで、
すごいのはレールを敷いた教授と、今その電車を走らせてくれているガーナの日本人教授。
僕は何にもすごくない。僕は何も成してはいない。
ガーナで生活して1か月以上が経ち、確信を得た。
「他の人にできない経験をしたからって、
他の人にできないことを成し遂げられるわけでは、決してない。」
つまるところ、
これから、だ。
このガーナ留学という一歩は、文字通り、僕の残りの人生において「はじめの一歩」である。
別に今までとたいして変わらない、ちょっと無茶したおおまたの一歩。
それでも、
僕はこの一歩で1°くらいは今歩んでいる方向を修正できたと信じている。
自分が望んでいる目的地の方向へ。
千里も行けば、この1°の差は大きな差となってあらわれてくれるはずだ。
ガーナに来て気付いた大事なことって実はメチャクチャ単純。
これから先の人生で、
常に自分のしたいことを求め続け、
倦まず弛まず努力を続けること。
Keep looking. Don’t settle.
「ガーナってアフリカの大地に3カ月も研究に行ってたんだぜ」って、得意になって驕らず、
「ガーナで暮らしてみてもたいして何にも変わらなかった・・・」って、卑屈になって怠けず、
歩み続けること。
それだけ。
そして、
そうやって歩んだ僕の人生が、
将来、多くの人にとっての「道」となる日を夢見てます。
布施田泰之
大学勤務ですが,二つ目がとても興味深かったです.
”「メチャクチャこの人優秀だな!すごいな!」と思う先生が、この世界では掃いて捨てるほどいる、ということです笑”
自分は振り返ってみて,そういう感想は高校卒業以来
先生のところは,多くの優秀な方が沢山いて,都会に住むと違うんだろうな~と思いました.
追伸
たぶん,先生が思っている以上に,先生はよくできると思います.あまりセカセカしなくても,きっと先生がオンリーワンになる道,見つかると思いますよ.