南米で活躍する20歳プロサッカー選手 平識善昭の栄光と挫折、そこから這い上がれた理由とは 前編

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インタビュー
「南米で活躍する20歳プロサッカー選手 平識善昭の栄光と挫折、そこから這い上がれた理由とは」前編
(インタビュアー: 川良健二、 協力: 山崎りさ)
インタビュアーのプロフィールはこちら→
自己紹介 ”川良健二”

 

 

この度、ペルー マチュピチュ観光の拠点となる都市、クスコにてプロサッカー選手の平識善昭(へいしき よしあき)さんと偶然にも出会うことができました。

沖縄出身のご両親を持つ平識選手ですが、1995年7月7日 埼玉県川越市に生を受け、その後群馬県で高校卒業までを過ごします。

群馬県 伊勢崎商業高校サッカー部時代にはキャプテンを経験し、卒業式を待つことなく単身ペルーへ移住。リマに本拠地を置くプロチームに入団しました。

その後1年3カ月を風のように駆け抜けた彼は、現在クスコに拠点を持つペルー1部リーグの強豪チーム「Cien Ciano」にて活躍中です。

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インタビューを通して感じたこと、それは

 

「なぜ彼はそこまで強くなれるのか」

ということです。

 

 

インタビュアーである私、川良はサッカーに関して素人ですが、あえてサッカーという枠組みを取り払うことで、彼の選手生活を支える屈強なアイデンティティ、核となっている部分に迫ることが出来ました。
(平識選手のサッカーに関するインタビューはこちらをご覧ください→ペルーで輝く、18歳の日本人サッカー選手 | 藤井大陸 〜すべてはW杯のために〜)

 

 

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川良 健二 (以下、川)「よろしくお願いします。」

平識選手(以下、平識)「よろしくお願いします!」

川「えーぼくはサッカーについては素人なんですが、それでも今回平識選手にインタビューをさせてもらいたいな、と思ったのには2つ理由があります。」

川「1つは、単純にぼくが平識選手にとても興味を惹かれていて、もっと知りたいなと思ったのがきっかけです。

もう1つ、ぼくみたいなサッカー素人でも平識選手に興味を惹かれる人はたくさんいると思うんですね。そういった人たちの目線から、サッカー以外の部分も含めて平識選手の内面に迫り、よりたくさんの人に知ってもらいたいと考えたのが今回の動機です。」

平識「はい、なんでも聞いてください!」

川「ありがとうございます。もし質問で答えづらいところがあれば、適当に流しておいてください。」

平識「いえ、もう100%答えますよ!」

川「頼もしいですね!では、まず遡ってサッカーを始めた頃のことからお伺いしたいと思います。」

 

ー平識善昭、原点

平識「サッカーを始めたのは、小学校1年の時ですね。それまでは興味がなかったんですが、友達がやっていたっていう単純な理由で地元のスポーツ少年団に入りました。」

川「クラブなどではなく、スポーツ少年団に入ったんですね。そしてその少年団時代の具体的な成績というのはどうだったのでしょうか?」

平識「はい、6年生の時にフットサル大会があったんですが、その大会、少年団の6年生6人だけで群馬県2位になりました。当時最強だった前橋ジュニアというチームをぼくの逆転ゴールで倒したのが1番の思い出ですね。チームとしては快挙でした。」

川「それはまるで漫画のようなシチュエーションですね。いやー憧れます。」

 

大会では鮮烈なゴールを決めた平識選手、普段からまるで漫画の主人公のように過ごしていたのだろうか

サッカー以外の小学校生活についても聞いてみた

 

平識「でも実はサッカー以外にも、空手・柔道・水泳を習っていて友達と遊ぶ暇もなかったんです。」

川「小さい時から全てをサッカーに注いできた、というわけではなかったんですね。サッカー以外の習い事が、今の自分にも生きているような部分というのはありますか?」

平識「ありますね。かなりしごかれてましたし、当時家にゲームも全くなかったので、とにかく習い事の毎日が結構辛くて、それで精神面が相当鍛えられたような気がします。それは今の自分にも生きています。」

川「なるほど、そんな小学生時代ですが、どんな子供だったんでしょうか?」

平識「うーん、これは今もでもあまり変わらないんですが、人と話すのがそんなに得意ではなかったですね。特に初対面の人とか、女の子とか 笑」

平識「えーと、それで3年生の時に思い出深い出来事があったんですが」

平識「実は当時、同級生何人かから陰湿ないじめを受けていたんですね、それが1カ月くらい続いて、親に相談しました。そしたら『そんな弱い子供に産んだつもりはねぇ』って言われちゃって 笑 。次の日にそのいじめっ子のとこまで行って、目の前で『やるんなら堂々とやれ!』って言いました。仕返しされるんじゃないかとかすごい怖くて、相当勇気を振り絞って言ったんですけど、それ以降はいじめが怖くなくなりました。」

川「そうだったんですね。辛い思い出まで話していただいて、ありがとうございます。ではそのような体験を経て今、小学生とか中学生のいじめというものに対してどのように感じていますか?」

平識「うーん… ぼくはあの時たまたま勇気を振り絞ることが出来たけど、やっぱりそれが出来ない子もいると思う。でもいじめは無くならないし、どこに行ってもいじめをするグループがいる。いじめを無くすことは出来ない。」

平識「だから、とにかく、もしいじめられてるんだったら、それを我慢しちゃいけない。別に喧嘩しろとか、殴りかかれって言うんじゃなくて、とにかく先生や親に相談する。いじめを受けて、それを我慢し続けて何もアクションを起こさないようだと、それはいじめられている方も悪いということになってしまうから。そうなってはいけないと思います。」

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彼の幼少期について、筆者には思い違いがあったようだ

彼は決して漫画の主人公ではなかった

生まれた時から成功が約束され、華やかな道を歩く、漫画の主人公などではなかった

小学生の平識善昭は決して強い人間ではなく

それでも遊ぶ暇もない辛い毎日に耐え、勇気を振り絞り、自分の力で居場所を掴んでいた

そんな小学生時代に、今の選手生活を支えるなにか原点のようなものがあるのかもしれない。

 

 

ー中学サッカー、その指導について今思うこと

川「さて、中学生になっても当然サッカーを続けたことと思いますが」

平識「はい、小学6年の時に声をかけられていて、地元のクラブチームに入りました。」

川「そのチームではどのようなポジションだったんですか?」

平識「ボランチという、チームの司令塔です。小学生の時はフォワードで、ドリブルの技術にはかなり自信があったのですが、中学生では司令塔というポジションのせいもあって、ドリブルをしないように強制的に直されましたね」

川「なるほど、その指導法には少々無理を感じてしまうのですが、どうでしょうか。例えば日本と南米の指導法の違いですとか」

平識「…ちょっと長くなるんですけど、良いですか?笑」

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平識「リマのチームにいた頃、地元の小学校にサッカーを教えに行くというイベントがあったんです。そこでぼくは南米の選手たちがどのように指導するのか、よく見ておこうと思って。そしたら、ストレッチとアップが終わり次第、試合形式のゲームをやらせていましたね。日本だったら、パスとか基礎練習をずっとやって、時間が余ったらゲーム形式。まるで指導法が違いました。その指導法もあって、日本人の基礎力はすごいと思う。パスがすごくうまい。でも南米の選手たちに比べると、ゴールへの意識が足りない。日本のボール占有率は高いのに、終わってみたらゴールが無いって状況もある。南米の選手は常に、小さい時からゴールを狙い続けている。」

川「なるほど、実際の経験からそういった違いに気付いたわけですね。では日本が南米に勝つためにはどのような変化が必要でしょうか?」

平識「やっぱり急に今、選手のやり方を変えるっていうのは難しくて、やるなら小学生に対する指導から変えていかないといけませんね。」

川「基礎力やパスに優れた日本サッカーというのが染み付いているんですね。もし平識選手が小学生に教えるとしたら、どのようにやりますか?」

平識「実は、現役を引退したら小学生の指導をしたいと思っているんですけど、そこではもう『お前らとりあえずゴール狙え!』ですね。やっぱりゴールが無いと楽しくない。基礎は大事だけど、楽しくは無い」

川「なるほど、シンプルですが力強い意見です。」

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18歳で単身ペルーへ移住し、そこで得られた生の体験。
いつかその勇気ある体験が日本のサッカーを変える時が来るのだろうか。

 

 

ー1番上手な選手が、1番優れた選手とは限らない

川「話は戻るんですが、中学時代は1年生からレギュラーだったんでしょうか?」

平識「いえ、2年生の時にクラブチームの関東大会に出たんですが、その時からやっとスタメンになれましたね。」

平識「ぼく、そんなに上手ではなかったんですよ。自分よりセンスのいいやつはいつも必ず2,3人いて。でもそういうやつらに負けたくないし、やっぱり1番になりたかったから、人より長く練習して、自然に色んなこと試していました。今思えばそれが良かったのかもしれません。」

川「はい、その辺りに平識選手のハングリー精神を感じます。やはり中学生のチームでは、1番上手な選手がキャプテンに指名されるんですか?」

平識「いえ、3年生の時はぼくがキャプテンでした。上手な選手っていうのは、監督に従わず自分がやりたいことをやってしまうから。その点ぼくはひとまず素直に従っていて、そういう所でキャプテンに選ばれたのかもしれませんね。」

川「やはりチームスポーツである以上、技術だけでは語れない部分があるんですね」

川「なにか中学生時代で思い出深かった出来事というのはありますか?」

平識「はい、うちは父親が本当にもう怖くて、1度も褒められたことがないくらい厳しかったんですけど、ある時クラブの練習場まで『お前自転車で行け』って言われて。え?ってなりましたね 笑」

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平識「ママチャリで片道3時間ですよ?笑 平日のナイターはさすがに車だったんですけど、毎週土日はチャリで、それを2年間続けました。もう練習会場着いたら足パンパンですからね、アップも何もいらない 笑」

 

 

そんな平識選手だが、なんと自転車で通うサッカークラブに加え、助っ人として参加していた駅伝部の週末練習も同時にこなしていたという。

それがどれほどの体力と忍耐を要すことか、筆者には想像も付かない。

全ては彼が1番になるための努力だったのだろう。
キャプテンの平識は1番上手な選手ではなかったのだから。

年と鍛錬を重ねて強くなってゆく「平識善昭」をそこに感じた。

 

 

ーサッカー留学、高校進学 揺れる想いはどこへ

川「現在プロとしてご活躍ですが、『プロサッカー選手』を現実的に意識し出したのはいつ頃だったのでしょう?」

平識「中3ですね。三浦知良選手に憧れていて、実は中学卒業したらブラジルに行こうかと思ってました。」

川「南米に対する意識が既にあったんですね。そして当時ですが、プロになれるという確信はありましたか?」

平識「なかったですね。南米で下部リーグから始まって、プロになるというのは相当難しいから。それで、やっぱり日本の高校で選手権に出たいという気持ちもあったんで、悩んだ結果日本で進学しました。」

川「なるほど、高校入学に関してもやはりスカウトはあったんですか?」

平識「はい、前橋育英高校の特待生や、健大高崎高校という高校では更に上のS特待生という話もあって、かなり熱心にお誘い頂いたんですが、最終的にはいくつか理由があって伊勢崎商業高校に入ることになりました。」

平識「小学校の時、一緒にサッカーやってた仲間がみんな伊勢商に行くと言っていて、またおれらで強くしようぜって盛り上がってたんですね。それと伊勢商の監督の方とたまたまお話しする機会があったり。それがきっかけで伊勢商に行くことにしたんです。」

川「なるほど、地元の仲間たちと盛り上がって、あの喜びをまた、ということですね。ワクワクするようなお話です。さて、そのサッカーの成績はどのようでしたか?」

平識「印象深いのは、1年生の時のインターハイ予選ですね。県大会決勝で前橋育英と当たったんですけど、その試合でいきなりスタメンに指名されました。逆転負けで悔しかったんですけど、良い経験になりました。」

 

 

小学校、中学校と地道に続けた努力は、彼を地元のスター選手にまで押し上げた。
そして高校3年生、キャプテンになった平識はサッカー選手として、いや人間として大きく成長することになる。

 

 

ー集団のリーダーになるということ

平識「高校3年でキャプテンになったんですけど、当時部活の同期に結構やんちゃなやつが多くて、最後の年の選手権前に悪さしたやつらがいたんです。」

平識「それで、監督も他の先生もそいつら辞めさせろって言ってて。ぼくも彼らを許せない部分があったんですけど、でも最後の選手権は絶対に全員で終わらせたくて、やつらと話したり、先生と話したりとプレイ以外でも忙しかったですね。」

川「やはりキャプテンとなると、プレイ以外にも役割というのが出てきますね。最終的にはどうなったのでしょう?」

平識「先生はずっと許してくれなくて、ぼくもそれで終わらせたくなかったので、頭丸めて、毎日毎日職員室とか校長室でお願いして、でもそれでも駄目で、とうとう職員室で泣き出してしまいましたね。マジでお願いします…!!って。」

平識「それでやつらの方も説得して直接謝りに行かせたり、その説得もすごい大変で怒鳴ったりしたんですけど、最終的にはやつらが泣きながら謝りに行って、許してもらいました。そして最後の選手権も一緒に迎えることができましたね。」

川「平識選手たちの想いが通じ合って、それが先生にも伝わったんですね。良かったと思います。そんな彼らとの関係はその後どうだったんですか?」

平識「それがあった後おれのとこまで、ホントにありがとうってお礼を言いに来てくれて。色々大変だったけど、本当に良い思い出ですね。」

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部活中、全体をまとめるため、とにかく部員の話をよく聴き、そして厳しく指導する時には自分の行動で示したという。

高校生の平識は悩み、考え抜き、そして気付けば自然と人を惹きつける存在になっていた。

彼の人生にとってこの1年間が大きな意味を持つことは間違いない。

 

 

ー自分だけの卒業式、そして地球の裏側へ

川「さて、卒業後はペルーにチームに入団が決まっていたのでしょうか?」

平識「高校の時にペルーのチームの人が見ててくれていて、卒業したらリマに行くことに決まっていました。でも日程的に卒業式に出られず移動だったんです。」

川「卒業式に出られない、これは結構辛いことだったんじゃないですか?」

平識「そう思ってたんですけど、実はそれを気遣ってくれた校長先生が、全校生徒の前でぼくだけの卒業式をやってくれたんです。3年生を送る会ってのがあって、その時にサプライズで壇上に上げられて、上で泣きながら校歌歌ったり、先生にもお礼を言うことができたり、最高でしたね。」

川「それは驚きですね。きっと平識選手の頑張りとかひたむきさってものを先生たちもちゃんと見ていたんでしょうね。とにかく最高の卒業式になったことと思います。」

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川「ところで、現在とても流暢に話しているスペイン語はどのように身に付けたのですか?」

平識「独学ですね。ぼく本当に勉強出来なくて、教科書とか見たことないんですよ 笑。それで、もう南米に行きたいってことは中3の頃からずっと思ってたんで、高校2年になったくらいから、南米のドラマを使って勉強を始めました。」

川「それは驚きです。ぼくなんかの想像では、塾・教科書とかって考えてしまいますが…。」

川「でも当時は部活に忙しかったんじゃないですか?」

平識「そうですね、忙しかったです。しかもバイトもしていたので 笑。父親が、自分のものは自分で買えってタイプだったんで。でもそんな合間を縫って、勉強していました。」

川「素晴らしいですね。ずばり、なぜそんなに必死になれたのでしょうか?」

平識「サッカーのためで、サッカーが好きってことと、南米に行くにはそれしかなかったってことですね。」

 

 

記事の冒頭で述べたことをここで繰り返したい

「なぜ彼はそこまで強くなれるのか」

同じ男として、そんな羨望と悔しさの入り混じった感情を禁じ得ないのだ。

しかし、そんな強い男、平識にもペルーの地には挫折が待っていた。

 

 

平識善昭の挫折、そしてそこから這い上がれた理由とは…

インタビュー後編はこちらをクリック

 

 

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