ケンジです。
乗車までのゴタゴタをなんとか乗り越えて、85ルピー(約170円)の座席に乗ったぼくはのんびり5時間後にはバラナシに着く予定でした。
前回の話が気になる方はこちらをご覧ください。
→“ヒンドゥー教の聖地、インド火葬場の街バラナシに向かいます”
蓋を開けてみれば、案の定と言いますか
電車の中でもちょっとした試練が…
まず、買ったチケットに座席が指定されているのか、
それとも自由席なのか、全くわかりません。
ですから、覚悟を決めて、
適当に広い座席に、勝手に座る
しかも眠いから、勝手に寝る。
でも何分かすると、インド人に無理矢理起こされてしまいます。
英語での意思疎通がとれず、お互い何を言っているか分からないまま、
押し切られて、席移動。
こんなことを何回も繰り返しながら、
しかもトイレに行くと勝手に席を取られるので、
トイレにもなかなか行けず、必死になっているうちに気付けばバラナシの近くまで来ているようでした。
終点である目的の駅に着くかと思いきや、その一つ手前で留まったまま電車が動きません。
30分以上たった頃でしょうか?
ぼくはあらかじめ調べてあったゲストハウスの位置を地図上で確認しました。
距離およそ5キロ!
暗くなる前に着きたかったということと、いい加減いつ発車するか分からないということで、一つ手前の駅で下車し、ゲストハウスまで歩くことにします。
途中で降ってきた大雨にビショビショになりながら、バラナシの魔窟のような細道を、牛を避け避け歩いて行くうちに
ようやくゲストハウスに到達したのでした。
一晩寝て、次の日さっそく
ヒンドゥー教の聖地ガンジス川へ向かいます。
インドへ行く前、ある人がぼくにこう教えてくれました。
「バラナシは、光が眩しすぎて、それでいて闇が暗すぎる街」
確かに、なんとなくわかる気がします。
太陽の光を浴びたガンジス川は、巨大な熱源となって人を惹き寄せ、
皆は浮き足立ち、その顔は赤く火照り、夜になればそこで行われるバラモンの妖艶な語りに、夢中になるのです。
かつて日本にもそういった時代があったと聞いています。
時は平安、親鸞の時代
世は混乱を極め、安寧な生活を求めて人々が祈った時代、彼らは仏教僧の吟ずる歌に恍惚とした表情で聞き入ったと言われています。
祈り、明るい表情を浮かべる行為は、
同時に、心の闇を隠す作業だったのでしょう。
ガンジスでの彼らの細かな心境は測り兼ねますが、
ヒンドゥー教徒にとっての巨大な墓場、人生の最終終着点でもある
ガンジス川
決して眩しさだけだけで語ることは出来ないのかもしれません。
次の記事に続きます。
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