ケンジです。
前回の記事公開後、たくさんの方からコメントやメッセージ、励ましやご意見をいただきました。ありがとうございました。
記事はこちら→
“ぼくの過去 〜京都大学を中退して医学部を目指したわけ〜”
自分の過去をあそこまで赤裸々に綴った経験は初めてで、公開前はしばらく逡巡したりもしたのですが、でも皆さんに知っていただけて良かったです。
ありがとうございます。
さて、そんな貴重なコメント等の中で、一際ぼくの胸を打ったものが1つあります。
それは中高6年間の同級生「とみさん」からいただいたものでした。
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「頑張ったが国立医学部に入れなかった同級生もいることを忘れないでおくれよ
ニ浪したのに前期に振られ、サイコロふって決めたような大学に決まった時は絶望だったよ。結果的に校風も土地柄も偶然自分にぴったりだったから良かったが。
でも、医者になりたかったわ。大学時代何度も赤本を手にしたけど、自分にとって落ちたことしかない大学受験だから、受かる保証がないから。。。
自分が骨になるまでこの気持ちは拭いきれないわ。
医者になりたかった夢はーーーに託したけど、川良にも託していいかな?
両方とも医科歯科だね。医科歯科ファイトだ〜。
無事に帰国してくれよ、本当に自慢の同級生だよ」
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実はぼくと彼は、中高6年間を通じて、決してとても仲が良かったわけではありませんでした。
会った時には会話をするくらいのもので、部活も違っていたので
たくさんの時間を共有したわけではありませんでした。
でも彼はぼくに、彼の夢を託してくれました。
正直に言って、驚きました。
かなりの衝撃が頭を突き抜け、
迷い 躊躇い 甘え 言い訳
心の中にある、そんな淀み・澱のようなものを一瞬で拭い去って綺麗にしてくれたような感覚を覚えました。
そういう、電撃が走るような言葉というのは、親や兄弟、親友や恋人つまり自分と相当に距離が近い人からしか生まれないものだと思っていたのに、
仲がいいとか、悪いとか、どれだけの時間を共にしたかなどということに関わらず、
今回 “とみさん” の言葉は、間違いなくぼくの心を揺れ動かし、そして変えました。
きっとそれは “とみさん” の思いが相当に大きく、真剣だったから
また記事を読んで、ぼくのことを深く思い、考えてくれた結果なのかもしれません。
あるいは、お互いに自分自身の弱い部分を曝け出した、仲間だったのでしょう。
話は少し変わりますが、
ある時、先輩からとてもいい話を聞いたことがあります。
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「自分のことを悪く言って、相手の立場を相対的に持ち上げようとしたり、場を取り繕ったりして、それで礼儀を尽くしたつもりになってる人っているでしょ?
でもそうやって謙遜しすぎたりするのって、場合によっては相手にすごく失礼な行為なんだよな。じゃあそのやり過ぎた謙遜を全部受け止めるとして、その男は自分で自分をしょうもない人間に設定してるわけ。
その男と、同じ場所で同じ時間を過ごして、相手にしてくれてるのは誰なんだよって話。目の前の、本当は自分が持ち上げようとしている人だろ?自分を下げながら相手の人まで引きずり込んじまってるよな。
それって本末転倒で、すごい失礼なことだよ、きっと。」
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この話に納得させられてから、「謙遜を辞めた」とは言いませんが、少なくとも自分を必要以上に悪く言ったり、過度な謙遜をしないようになった、という経験があります。
そしてその経験を踏まえ、
今回、彼がぼくにかけてくれた言葉、託した夢
それを100%受け止め、応えるため。
ぼくに素晴らしい言葉をかけてくれた彼に
礼儀と誠意を示すためにも
今は1mmも謙遜したくありません。
自分のためにも、そして彼のためにもぼくはやらなくてはいけない
自分の医者としての夢を実現させなければならない
その力を、ぼくは絶対に持っているんだ
と信じて。
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