「科学は人のためにならないといけない」のか?

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連日の日本人のノーベル賞ラッシュが日本を騒がせました。

 

そして僕が最も関心を寄せる分野「感染症」で大きな功績を残されたのが、

大村智先生。

 

何億の人から光を奪ってきた寄生虫病「河川盲目症(オンコセルカ症)」や、

足を象のように厚く太くしてしまう「フィラリア症」、

日本でも昔猛威を振るっていた「糞線虫」など多くの寄生虫病に有効な、

「イベルメクチン」を開発した先生です。

 

 

 

その大村智先生の言葉がこれです。

 

「科学は人のために」

科学者は人のためになることをやらないとダメだ、という言葉です。

 

僕はこの言葉に全面的に賛成です。

 

 

 

 

でも、

それだけでは少し足りないと思うんです。

 

それは、

「科学は人のために 使わないと ダメだ」

ということ。

 

科学はそれ自体に善悪がありません。

 

その科学技術が人のために、そして人類のためにどう使われるかが大事だと思うのです。

 

 

ノーベル賞を作った「アルフレッド・ノーベル」が、

 

自身が発明した「ダイナマイト」によって巨万の富を得るも、

そのダイナマイトが大量虐殺に用いられるようになり、

後世を憂いて私財で「ノーベル賞」を設立させたことは、誰しもが知る逸話でしょう。

 

また、原子力爆弾の開発に携わった科学者の一部は自分たちの意図と違ったように発明を利用され絶望した、といった話も耳にします。

 

 

 

「科学」はそれ自身が善悪を持ちません。

だからこそ「科学技術」を人がどのように使うかでその善悪が決まってしまいます。
そして、それは医療の世界でも全く同じだと思います。

 

・再生医療のために将来ヒトのなりうる「生殖細胞」を用いていいのか。

→いいならば、「クローン人間」のようなものを作って臓器を抜き取り移植する、といった医療が成り得るのか。

 

・遺伝子検査によって分かり得る情報をどこまで開示するのか。

→遺伝子は家族や親族で共有していることが多く個人情報の保護と兼ね合いが問題となる。

 

・代理母出産で、生まれた子供の親権は産んだ母親、依頼した遺伝子上の母親、どちらを優先するのか。

 

 

これから先の未来「科学技術をどう使うかどう付き合っていくか」という点が、

僕達に課せられたとても重大な使命になっていくような気がしてなりません。

 

 

 

 

今回のノーベル医学・生理学賞に輝いた大村智先生含む3人が「寄生虫病」に関する研究でノーベル賞をとったということは、

「感染症」「熱帯医学」に興味を持つ僕としてはとても喜ばしい衝撃的なニュースでした。

 

そして3人の研究が世界で何億人もの人の命や生活を救ったのだという事実に、

僕は心を揺り動かされています。

 

 

 

しかし、

 

「科学は人のためにやらないといけない」

という大村智先生含め多くの科学者の崇高な意志をうけて、

 

 

 

僕たちだって、

 

「科学は人のために使わないといけない」

ということを今一度胸に刻む必要があると思います。

 

 

布施田泰之

 

[Photo by Flickr]

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