こんにちわ。
いつもは陽気にふざけて記事を書いているケンジです。
今日は真面目な文章を書かせてください。
皆さんご存知の通り、マレーシア・キナバル山で地震が発生し、日本人1名を含む16名の方々が亡くなったとのことです。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
以下Yahooニュースの記事を一部引用・抜粋・改編します。
(引用元: ボルネオ島地震「日本人1人死亡」と発表 死者16人に | YAHOO!JAPANニュースより)
「マレーシア・ボルネオ島で起きた地震で、死者はシンガポール人7人、マレーシア人6人、日本人、中国人、フィリピン人がそれぞれ1人としている。
日本の在コタキナバル領事事務所は、死亡したのは登山者名簿に記載があるオザキ・マサヒロさん(29)の可能性があるとみて確認を急いでいる。
領事事務所が公園管理事務所から受けた連絡によると、日本人とみられる男性はキナバル山の標高3500メートル付近で見つかった。公園管理事務所は衣服についていた名札からオザキさんではないかとみているという。」
ぼくが記事を書く理由は単純で、
3カ月前、キナバル山に登ったからです
でもこの記事では何か崇高な主張が出来たりということは全くありません。
自分勝手な思い出語りになってしまうのかと思うと、この記事を書くことが躊躇われるのですが、
でも、書かせてください。
ニュースをインターネットで見た時、他の国籍の方々を軽んじるわけではありませんが、特に細かく情報の載っていた日本人男性 オザキ・マサヒロさんのことを想うと涙が出てきてしまいました。
ぼくはオザキさんのことは知りませんし、オザキさんの人生や最期のことはわかりません。
本当に自分勝手だとは思いますが、でも泣いてしまいました。ごめんなさい。
自分がなぜ泣いているのか、うまく言葉にする自信がありませんが、
上の抜粋部分で太字にしてある部分
・公園管理事務所
・標高3500メートル
・名札
おそらくこの3つに理由があるんだと思います。
この3つに関して、その状況を思い浮かべることが出来るからです。
ー公園管理事務所
キナバル山に登るためには、富士山などとは違い、国立公園での登録や登るための諸手続きを管理事務所で行わなければなりません。
この写真にあるところが事務所の入り口になっていて、ぼくたち3人はこの事務所で泊まる山小屋の手続きや、ガイドさんを雇ったりしました。
ここで手続きを終えると、車で標高1500メートルの登山道入り口まで移動して、登山を開始します。
ー標高3500メートル
キナバル山登山は通常、1泊2日で登頂・下山します。1日目、標高1500メートルからスタートし、午後3時あたり到着を目安に標高3200メートルに位置する山小屋を目指します。
そして仮眠の後、翌日真夜中午前2時に山小屋を出発し、ヘッドライトで前を照らしながら山頂でのご来光を目指します。
ぼくが山頂に着いたのは午前5時20分でした。
キナバル山の山頂は標高4095メートルであり、地震があったのが現地時間7時15分とのことなので、オザキさんが健脚の持ち主であったと仮定するならば、登っている時ではなく、登頂後の下山時に亡くなったことが予想されます。
標高3500メートル地点というのは、記憶が曖昧で定かではありませんが、おそらくこのように岩肌が露出している場所で、滑落などの危険性は高い場所と言えます。
ー名札
登山者は登山中の身分証明書がわりとしてこのような名札を渡されます。
この、登山中自分も首にかけていた、今でも大切に持っている名札
この名札によって、オザキさんがオザキさんであるとわかった。
この事実がぼくの胸を打ったのだと思います。
なぜぼくが涙を流してしまい、またこの記事を書いているのか、書きながら少し分かってきたかもしれません。
正直に言って、登山中、標高が上がってくるとかなり辛かった思い出があります。少し登ると息が切れてしまう状況が長く続きました。
そんな中で様々な年齢の方が様々なペースで山頂を目指して歩いています。
もちろん、登山にとても慣れていて、遅いペースの人たちを少し煙たがりながら抜かして行く人たちをもいました。
でもぼくは、自分が登山初心者ということもあって、全ての人、全てのペースが尊重されるべきだと考えながら登っていました。
登山中、頂上を目指すということにおいて全員が仲間なんだろう、ということです。
ペースの違う人を抜かしたり抜かされたりという時も、ちょっとした挨拶をしながら登山を出来たのが爽快でした。
下山時に登山者とすれ違う時は「がんばって!」と応援出来たのも爽快でした。
そしてぼくたちが登った時には、数人の日本人たちに会いました。
全員仲間とは言いましたが、外国の山の上という異世界で会う日本人にはかなり特別な親密感を感じました。
何が言いたいかといえば
勝手にオザキさんに対して仲間意識を感じているんだ
ということです。
間違いなく同じ山を登ったんだということが、上に挙げた3点からありありと想像できました。
また、日本人にとってはあまりメジャーではないキナバル山に登ったという共通の経験から、勝手に仲間意識を感じていることに気がつきました。
きっと涙の原因はそこにあったんだとわかりました。
ここまで長々と思い出語りをしてしまいました。
このことに意味が生じるかはわかりませんが、もし最後に意味を付け足せるとするならば、こんなことが言いたいです。
「オザキさんにぼくのこの気持ちが届けば嬉しいし、オザキさんも同じようにぼくを仲間だと思ってくれていたら嬉しいです。」
はじめまして。
「オザキ マサヒロ」で検索していたら、このブログにたどり着きました。
私はオザキさんとは数回しか会っていなく、共通の知人もいないので、情報を探していました。
オザキのさん名前がニュースに出てから毎日涙を流す日々です。これから未来ある若い人が命を落としたということと、オザキさんに対して私が出来なかったことを後悔する毎日。
このブログを読んで、オザキさんがどういう状況で登っていたのか、勝手に推測することができました。
たぶん、オザキさんもあなたのことを仲間だと思っているでしょう。
ブログを読んで、また涙が出てきました。
私が言うのもかなりおかしいですが、オザキさんのことをブログに書いてくれて嬉しかったです。
まとまりない文章ですみません。
きょ さん
コメントありがとうございます。
川良と申します。
まさかオザキさんとお知り合いの方からコメントをいただけるとは思わず、驚きました。
それと同時に、嬉しいような、悲しみがこみ上げるような不思議な気持ちに包まれています。
ともかく、少しの人にでもこうして読んでいただいて、心に響いたのとのことであれば本当に記事書いて良かったな、またブログをやっていて良かったな、と思います。
後悔の毎日とのことですが、どうかあまりご自分を責めることなく過ごして欲しいと思います。
普段はあまり真面目な文章は書いてはいませんが、これからも見守っていただければ幸いです。
川良