ガーナ、一考

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「希望とは、もともとあるものとも言えぬし、ないものとも言えぬ。それは地上の道のようなものである。

地上にはもともと道はない。歩く人が多くなれば、それが道となるのだ」 魯迅

 

 

 

小さいころ、目の前に広がる銀世界。

 

いつも誰も踏んでいないまっさらな雪の上を歩いた。

雪を踏みしめるその感覚が好きだった。その時のなんとも言えない音が好きだった。

 

はたから見れば、わざわざ誰も歩いていないまっさらな雪の上を好んで、ジグザグに歩く姿や遠回りをする姿は滑稽に見えるかもしれない。

 

 

それでもいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、僕はそんな人生を望んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

「ガーナへの留学」

 

夢への第一歩。

 

僕にとっては、これはとてつもなく大きな一歩、

 

 

の、はずだった。

 

でも、違った。

 

ただの一歩だった。

いつもとたいして変わらない歩幅の一歩。

 

 

忘れていた。

 

「千里の道も足下より始まる」

 

そして、人は一歩ずつしか歩いて行けないのだ。

 

 

 

 

 

衝撃的なことはあった。

見慣れない風景があった。

得難い経験を得た。

 

しかし、僕はたいして変わっていない。

ましてや、世界は何も変わらず、残酷なまでにいつも通り廻っている。

 

 

 

僕はまっさらな雪の上を歩んできたと思っていた。

福井という雪国から一念発起して東京の大学へ来た。

大学では、敢えてガーナ留学を選んだ。

少し離れたところで人が、

「こっちに整備された、楽な道があるのに・・・」

「やめたほうがいい。雪の下は、落とし穴かもしれない。地雷が埋まっているかも知れない」

などというのを尻目に、

颯爽と歩んできたはずだった。

 

 

でも、実際にガーナに来て、ガーナで生活して感じたこと、

それは、

「今まで僕がしてきたことはどちらかというとただの「奇抜な乗り換え」に過ぎないのかもしれない」

ということである。

 

そこには確固としたレールが存在した。

その上を行けば、安全安心で楽に今まで見たことのない風景が楽しめる。

東京医科歯科大学での学生生活はもちろん、

ガーナ留学だって、

教授が建設し、3年も前から先輩方によって固められたレールだった。

ガーナで3カ月研究するだけで、「何かすごいことをするんだ」って勘違いしてた自分が恥ずかしい。

僕はちょっとガーナ行きの電車に乗り換えただけで、

すごいのはレールを敷いた教授と、今その電車を走らせてくれているガーナの日本人教授。

 

僕は何にもすごくない。僕は何も成してはいない。

 

 

ガーナで生活して1か月以上が経ち、確信を得た。

 

「他の人にできない経験をしたからって、

他の人にできないことを成し遂げられるわけでは、決してない。」

 

つまるところ、

これから、だ。

 

このガーナ留学という一歩は、文字通り、僕の残りの人生において「はじめの一歩」である。

 

別に今までとたいして変わらない、ちょっと無茶したおおまたの一歩。

 

 

それでも、

僕はこの一歩で1°くらいは今歩んでいる方向を修正できたと信じている。

自分が望んでいる目的地の方向へ。

 

千里も行けば、この1°の差は大きな差となってあらわれてくれるはずだ。

 

 

ガーナに来て気付いた大事なことって実はメチャクチャ単純。

 

これから先の人生で、

常に自分のしたいことを求め続け、

倦まず弛まず努力を続けること。

Keep looking. Don’t settle.

 

「ガーナってアフリカの大地に3カ月も研究に行ってたんだぜ」って、得意になって驕らず、

 

「ガーナで暮らしてみてもたいして何にも変わらなかった・・・」って、卑屈になって怠けず、

 

歩み続けること。

 

それだけ。

 

 

 

 

そして、

 

そうやって歩んだ僕の人生が、

 

 

将来、多くの人にとっての「道」となる日を夢見てます。

 

 

 

 

次郎作

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