キナバル山登頂記 〜ぼくが登った理由〜その2

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こんにちわ、ケンジです。
前回の記事に引き続き、キナバル山登頂について書きていきます。
(前回の記事はこちら→“キナバル山登頂記 〜ぼくが登った理由〜その1”)

 

さて今回は、以前にも少し記事で書きましたが、ぼくが登山をする理由について改めて書きたいと思います。

 

 

 

 

ぼくがキナバル山に登る理由

 

1つは、自分のためでした。

 

先輩に突然言われた

「お前山登れよ」の声。

これが頭の片隅から消えず、もしかしたら新しい自分の一面を見ることが出来るのではないか、そんな淡い期待を抱き、一緒に登る人がいるならば登ってみたいという興味から登山を決意しました。

 

 

 

 

 

 

もう1つは、

これもやっぱり自分のためでした。

 

 

登山をした3月11日は、ぼくが大変お世話になった方の命日です。

去年の3月11日、お通夜と告別式に出席し、今年が一周忌でした。

登山の計画を立てている2月初旬にその方と親かった方から連絡をいただき、日本にはいない旨を伝えましたが、この時同時に

「3月11日は山の頂上にいられるかもしれない」

と考え始めました。山の頂上から安寧をお祈りしたいと。

そしてそれからの1ヶ月はそれに合わせて計画を立てました。

結果的にはどうしても3月10日に登り始めることが出来ず3月11日に登山を開始し、登頂は3月12日になりましたが、無事に山頂で黙祷を捧げることができました。

この2つが、主にぼくが山に登った理由でした。

 

 

 

さてそんな登頂に至った2日目ですが、

午前2時
起床、登頂に向けて登山開始

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ヘッドライトで足元を照らしながら慎重に歩きます。
途中から岩肌の露出した地面となり、岩に穿たれたロープを辿りながら中々の急斜面を登りました。

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午前5時20分
山頂に到着

となっています。

 

 

 

実は登頂間近、残り距離1キロほどになった時、ぼくは1人でした。

なんだか妙な感覚に襲われ、1人で走り出していました。

標高4000メートルの地にもかかわらず、なぜ走って山を登っていたのか、自分が理解できませんでした。

その時のことが日記に綴られていたので、そのまま写したいと思います。

 

 

登山雑感
“やはり後々になり実感が湧いたりそうでなかったり、不思議な気分になる。本当に自分は頂上に立っていたのだろうか。ひどく現実味のない体験であった。頂上まで残り1kmばかりとなった時、自覚なく歩調が早まり、気付いた時には走らんばかりのスピードになっていた。心臓が爆ぜそうになれば10秒ほど休憩し、走り続け、気付けばまだ10人ほどしかいない頂上へ辿り着く。黙祷を捧げたり、なぜか親を思ったり。”

 

後々になって気持ちを整理すると、当時のことが何と無く理解できました。

登山初心者のぼくにとっては、比較的登りやすいと言われるキナバル山でも、大きな挑戦でした。

そして山頂間近、登り始める前に見上げた頂きに自分がいると思うと、なんだか急に自分という存在が、本当にここにいるのかいないのかが分からなくなりました。

あまりにも普段の現実からかけ離れた場所にいる自分を主観的に捉えることが出来ず、何処か第三者的視点から他人を見下ろしているような感覚が気味悪かったのだと思います。

そんな感覚を振り払うように、自分が自分であり、自分の意思で動いていることを証明するために、走り出して、体に負荷を掛けたんじゃないかな、と今になって思います。

そして結果的に、まだ人のほとんどいない静かな山頂で自分の時間を持つことができたのは、本当に貴重なことでした。

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その後

午前5時45分

トシ君、コウタとガイドさんが到着しました。

みんなで写真撮影などして喜びを分かち合い、そしてキナバル山がぼくらにそれとなく与えてくれた絆を確認することができました。

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登頂できた、という山に対する直接的な達成感よりも、3人でここまで来れたんだという喜びや、普段の生活からすれば途轍もない場所から朝日を望んでいるんだ、という爽快感の方が強かったように感じます。

そしてひととおりはしゃいだ後、午前7時ごろ下山を開始し、12時頃にスタート地点へと戻ったのでした。

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おしまい

次回の記事では、多分誰も行ったことのない謎の国に上陸した話を書きます。

 

 

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