前回の記事では、たまに旅人が襲われるという”旅マンネリ”について書きました。
“ネパールで旅の意味について考える その1”
もちろん、旅の楽しみ方は人それぞれだ、ということは何度も強調しておきますが、
ぼくにとっては
自由に気ままに、好きなように続ける旅というのは向いていないことがわかり、何か旅を統一するテーマを設けることにしました。
前々から、旅を通じてしたいことというのはあったのですが、別にそのことに対して義務感を覚えていたわけでもなく、気ままにやりたければやったら良いな、というくらいのものだったのですが、今回旅に対する心情の変化に加え、あることがきっかけとなって旅のテーマを設定するに至ります。
そのテーマとは
世界の聖地巡礼です。
特定の宗教の聖地となっている場所に訪れながら旅をしようというものです。
なぜそれをテーマにして若干の義務感をもたせることにしたか、
ネパールで訪れたある場所がきっかけとなりました。
宗教についてよく知っているわけではないので、詳しく書くことは避けますが、とにかくネパールにはヒンドゥー教とチベット仏教が混在しているという認識です。
そして、そのチベット仏教において重要な役割を担う施設として「ボダナート」という仏塔がカトマンズにあります。
ネパール滞在10日目になったある日、ぼくは何気無しにそのボダナートを訪れました。
写真では分かりづらく申し訳ないのですが、土台がドーム型になっている大きな塔の周りを、時計回りに祈りを捧げながら歩くというものです。
実は今までの人生、神社などで神様にお祈りしたりというのはあまり得意ではなく、初詣に行かない年もあったほど信仰心の薄いぼくでした。
しかも、たまにお祈りする時にも、
自分自身の成功
これしか祈ったことはありませんでした。
でも、なぜでしょう、なんの気なしに訪れた外国の宗教施設「ボダナート」でぼくが祈っていたのは、今まで神様にお祈りしたことのなかった
家族5人の平和・安寧・無事・幸福
だったのです。
家族を特別意識したわけではありません。
家族のことを祈るのが “善行”だからしたわけではありません。
もしかしたら、1人で海外に出ていて、家族のことが無意識に気になっていたのかもしれません。
とにかく、なんの雑念や余計な考えも無い状態で、純粋に祈っていたのが
家族のことでした。
そしてその後、例えようも無く澄み切った、清々しい気分に包まれていたのを今でも思い出すことができます。
他の人からしたら、当たり前のようにしてきたことかもしれません。
でも今までの人生で、ぼくはそれをしてきていませんでした。
今頃になってやっと気付いたのか
バカにされるかもしれません。
でもそんなことは関係無く、ぼくがそうすることが出来るまでに成長したのは27歳になってからのことでした。
ただそれだけのことで、自分を貶すことも褒めることもしません。
自分と、家族の安寧・幸福を祈ることはこんなにも素晴らしいことなんだ、
そう気付いたのです。
そしてそのあと、とある方の助言もお借りしながら、
予定していた旅のルートを大幅に変え、
世界の聖地巡礼
ということに的を絞りながら、元々行く予定だったアフリカなどはカットして旅を続けることに決めたのでした。
具体的な今後の旅のルートについて、次回の記事で紹介させていただきます。