第8話 実は病院辞めたあと企業の内定も辞退した話
こんにちわ、サイト運営の川良です
今日の記事は川良が医師3年目で病院を辞めて起業した際の色々なノウハウを物語も交えて綴っていく企画の第8話です!
この連載では、
医師が個人で起業するときに必要な知識や役立つノウハウ
になるべくフォーカスしながら、起業やビジネスに興味を持っている人たちの
「やってみたいけど・・・」が「やってみよう!」
に変わる手助けになれば、という想いを込めて綴っていきます!
さて、前回までの第7話では、起業の正に始まる瞬間のノウハウ中心に解説して参りました
第2話:会社の仕組みや作り方
第3話:会社の保険や役員報酬
第4~6話:ロゴ・HP・名刺の作り方
ノウハウに傾いた話が多かったので、ここらで一つエピソードトークを挟みたいと思います!
今回のエピソードは、題名にもある通り、
「実は病院辞めたあとコンサルも蹴ってた話」
です!笑
おいおい大丈夫かよ、追い込み過ぎかよって感じですが、順を追って当時の心境を振り返っていきたいと思います!
振り返りを始めるまえに、以前にも少し触れたことがあったかもしれませんが、まずは2019年以降の川良の挙動を改めて振り返ってみようと思います!
2019年以降の川良の挙動
初期研修を終えた2019年以降の川良の挙動を時系列で振り返りたいと思います!
2019年4月:
都内急性期病院にて救急診療科後期研修医として入職
2019年6月:
とある知り合いの方から、「川良君は病院以外の職場も是非経験してみた方が良い!」と勧められ、出来心で就職活動を始めてみる
2019年10月:
↑の人が「就職も良いけど、川良君にもともとビジネスアイディアがあるなら起業しちゃおう!」と勧められ、就職活動と並行して起業の準備も進めてみる。
もちろん、病院勤務は一切手抜きせず継続。
2019年11月:
就職活動が成就し、三大コンサルファーム(マッキンゼー・BCG・Bain)の1つからオファーをもらう。2020年4月入職の予定となる。
2019年12月:
起業の準備が無事に進み、1社目設立。同時期に病院退職
2020年4月の時点で就職するのか、自分の会社での事業を継続するのか、判断は先送りすることとした
2020年1月:
会社運営にフルコミットし、事業が軌道に乗る兆しを見せる
2020年2月:
会社運営へのコミットを継続したいという気持ちから、4月の内定辞退を決意
ところが、同時期に社内の人間関係のもつれから会社瓦解の危機
2020年3月:
会社が音をたてて瓦解する
病院勤務→退職
コンサル内定→辞退
会社→瓦解
で一気に肩書全てを失う笑
2020年4月:
装い新たに2社目を設立
以上になります!
振り返ってみると、色々なことがあった1年間だったなぁと思います!
それでは、時系列の中で、思い出深い部分をpick upしつつ以下に書いていきたいと思います!
後期研修が始まってたった3か月で転職活動開始
さて、振り返ってみると自分でもびっくりするのですが、なんと救急科の後期研修が始まって、たった3か月で転職活動を始めていました
これは、もちろん、この時点で病院を辞めるとか後期研修を中断するとか、そういう決意があったわけではなく、
なんとなく隙間時間でやってみるか
程度のものだったと記憶しています
実際、後期研修医として働き始めた頃は、自分が座学で学んだ内容を救急初療や集中治療に適応させながら診療している時間がとても楽しく、充実していました
ですので、転職活動といっても、転職エージェントの人にたまにあったり、パソコン経由の1次選考を受けたりといった程度でした
(医師→コンサルの転職は割と多いと聞くので、自分が内定を獲得したノウハウについては今後まとめて書きたいと思います!)
そんな形でゆるゆると転職活動を続けていたのですが、次第に「ここの企業で働いてみたいな」という企業も出てきました
そしてその企業の選考が書類→筆記と進んでい行くうちに、とうとう面接の機会がやってきたのです
(面接に関してなどのノウハウもぼくが知っている限りのことは今後書かせていただきます!)
ちなみに、転職活動の面接は19時とか20時とか、平日の遅い時間からもやっていただけるので、一応仕事は休まずに受けられるように配慮されています
ただし、これはぼくが実際に経験して思ったのですが、19時とか20時と配慮していただいても、
結局面接に行けるかどうかは博打です笑
病院の仕事なんて、19時とか20時に終わらないことなんてザラにあるので、もしも行けなければとりあえず断りを入れてリスケしていただくしかありません
リスケが1回ならまだ直接的なマイナスにはならないかもしれませんが、2回と続くとどうなのでしょう・・・自分には経験がないのでわかりません
大事件発生で選考終了の危機
さて、ここからは詳しく自分の体験談をお話させていただきます
例の働いてみたいコンサルティング会社の面接があった当時、ぼくは脳神経外科で院内ローテーションをさせていただいておりました
19時からの面接に備えテキパキ仕事をこなそう!
と病院に向かったのですが、なんとその日は想定外が幾重にも重なり、手術が終わったのが19時40分・・・
しかも、自分の想定の甘さもあり、先方へ一切連絡できずの完全ブッチ
もちろん手術中助手を務める間
「あぁ・・面接の時間が過ぎていく」
という感覚は頭のどこかにありましたが、さすがにその時は全集中の呼吸で目の前の患者さんのことに集中しました
そして、手術が終わり、一通りの送りなどを済ませた後に携帯電話を覗くといくつかの着信履歴・・・
この時は、もう絶望感と恐怖が混じってよくわからない感情になっていましたね
「さすがにノー連絡の完全ブッチは社会人として終わっただろ・・・」
「しかも採用面接という、いつ切られてもおかしくない状況で・・・」
「もしかしてエージェントさんと、企業さん、ダブルでめちゃくちゃキレた留守電入ってたらどうしよう・・・」
そして、そういう風に感じている自分を客観的に眺めて
「あ、意外と就職したい気持ちかなり強いじゃん」
と冷静に思う自分もいました
さておき、とにかく担当していただいていたエージェントに折り返しの電話連絡をして、謝罪し、面接を再設定させてもらうためにどうしたら良いかということを聞きました
すると「事情が事情で、不可避なことであったのならば先方も納得してくれると思います。状況報告書みたいなものを作って先方に投げてみませんか?」と言ってくださり、作ることにしました
結果的には、状況報告書が功を奏したのかどうかは分かりませんが、無事に面接を再設定していただき、その後4回の面接を経てなんと内定をもらうことができたのでした!
ちなみに、その状況報告書は、もちろん個人情報が特定されないように秘匿した上でですが、
非医療者に向けて書くのはやり過ぎか?ってくらい、入念に詳細を書き込みました!笑
脳室ドレナージがうまくいかなくてオペが延長されたことや、笑
重症頭部外傷の外減圧術の最中に外傷性凝固障害により止血が困難だったこととか、笑
とにかく先方に納得してもらえうように、必死で詳細を書き込んだ状況報告書を作りました!
ぼくは小心者なので、(待ち合わせ時間内でも)人を待たせたりとか、予定を変更したりとか、苦手なのに連絡無しに完全ブッチした時の恐怖感といったら・・・
終わってみると転職活動の結果として、5社のコンサルティング会社に応募し、1つ内定、1つ途中辞退、3つ選考落ち、という結果だったのですが、
一番行きたかった三大コンサルのうちの一つから内定をもらえたのでとても嬉しい気持ちでした!
(転職活動を行いながら、徐々に病院の外に出てみたいという気持ちが強くなっていった経緯については追々書かせていただきます)
さて、今回も長くなりそうだったので、エピソードの全貌は2話か3話に分けて綴っていきたいと思います!
次話では、↑苦労して勝ち取った内定を辞退するに至った経緯は心境について書きたいと思います!
それでは今回はこれにて!
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