【3年目の医師が病院辞めて起業してみた】第9話 実は病院辞めたあとコンサルの内定も辞退した話②

Pocket

こんにちわ、サイト運営の川良です

今日の記事は川良が医師3年目で病院を辞めて起業した際の色々なノウハウを物語も交えて綴っていく企画の第8話です!

 第1話はこちら

 

この連載では、

 

医師が個人で起業するときに必要な知識や役立つノウハウ

 

になるべくフォーカスしながら、起業やビジネスに興味を持っている人たちの

「やってみたいけど・・・」「やってみよう!」

に変わる手助けになれば、という想いを込めて綴っていきます!

さて、第7話までの起業ノウハウ中心系の記事に引き続き

・第2話:会社の仕組みや作り方
・第3話:会社の保険や役員報酬
・第4~6話:ロゴ・HP・名刺の作り方

 

第8話では、後期研修が始まって3か月で転職活動を並行させていた話や、その後の大事件を経て、なんとか1社から内定をいただけた話をしました。

今回の第9話では、その続きとして、タイトルにもあるように「病院も辞めて内定も辞退して起業する時の心境」について書かせていただこうと思います!

 

正直、3か月くらいほぼ毎日悩み続けて、それでもなかなか結論出ませんでした笑

 

3つの選択肢があった2019年11月

さて、前回の第8話にも書かせていただきましたが、昨年11月の時点でぼくには3つ、人生の選択肢がありました

 

・病院勤務を続け、ひとまず3年で救急専門医を取得する

・病院を退職して、BCG(ボストン コンサルティング グループ=内定をもらったコンサル会社)に2020年4月から就職する

・病院を退職して、当時起業の準備をしていた会社の代表として働く

 

正直に申し上げて、贅沢な選択だと思いました

どの3つをとっても、ほとんど同じくらいに魅力的な選択でした

 

そして、この時ばかりは、

「初期研修終わらせておいてよかったぁ」

と強く実感しました

 

というのも、まず、救急科後期研修医として充実した生活を送れたのは、初期研修を終えたから、というのは言わずもがな

次に、BCGから内定をいただけたのも、「医師としての臨床経験を活かしながら、ヘルスケア領域のコンサルティングに生かして欲しい」というものだったと認識しているので、こちらも(短いなりに)臨床の場で働いたことがあったからこそ

最後に、「退職して起業」という選択肢についてですが、これも少なくともぼくの中では、「間違いなく初期研修を終えてからの方が良い」と思っています
(これについては、大切なことなので、ノウハウとしてエピソードが終わった後に書かせていただきます!)

 

改めて考えてみると、「初期研修を終えて後期研修をやっていたからこそ」の幅広い選択肢だったんだなぁと深く実感したのでした

 

学生のころは「医師免許とった時点で、研修医じゃなくて何か別のことしてみようかな」と思っていた時がありましたが、

去年11月の感覚は、間違いなく「あぶねぇ!!やっといて良かった!」です笑

 

選択肢を絞った年末年始

どれも魅力的な選択肢(というか、病院勤務を継続する選択肢に至っては王道中の王道)だったためか、選択の1st stepは消去法的な決め方になりました

 

まず、結論から言うと、一つめの選択として、「病院勤務を続ける」を消去しました

 

理由としては、救急の現場で感じる違和感が次第に強くなってきたことが挙げられます
(以下はm3.comで連載中の記事でも同様のことを書いたので、そこからの改変・引用となります)

——————————-

その違和感の正体は「無駄な救急搬送」の問題でした

高齢の夫(妻)がお互いの面倒を見切れず、「とにかく入院で何とかして欲しい」と軽症(あるいはほとんど無症状)で救急車を呼んでしまう、

高齢の親と同居する、働き世代の子供たちが仕事の関係から介護力を失い、救急車を呼び入院を強要する、

そんな人たちに、

「これくらいで救急車を呼ばないでください!」
「入院の適応はありません!」

と言ってしまったこともありました

 

しかし、よくよく考えてみると、患者さんやご家族は「無駄」とは思っていないから救急車を呼んでいるわけで、医療者の「処置が必要ない=無駄」という考え方とは根本から違っているということにも気が付きました

そして、それに気が付いた時から、救急外来に来てしまった後に「このような状態で次回からは救急車を呼ばないでください」というのはあまりにも酷ではないかと思うようになりました

「患者教育」の名のもとに、「これくらいで救急車を呼ばないでください!分かりましたか?」と救急外来で伝えるだけでは患者さんやご家族の問題は何も解決せず、

再び救急車を呼ばざるを得ない状況になるか、あるいは患者・家族が著しい負担を強いられるだけではないか、と強い違和感を覚えるようになりました

 

そうした経緯から、病院の中で勤務医として働くだけでは不十分だと感じ、まずは病院を退職することを決めました

言い換えれば、「病院にいては解決できない課題」を解決したいという気持ちが募りに募った結果の退職でした


 

病院を退職してやりたかったこと

病院を辞めてまでやりたかったことの1つは、

 

ずばり「在宅医療」です

 

実は、初期研修の地域医療実習で在宅医療と出会ってから、その力と可能性にはただならぬものを感じており、

さらに今回の「無駄な救急車問題」に際しては、在宅医療の力で現状を改善させられるのではないかと考え、

初期研修医時代から続けていた在宅医療の調べ学習を再開しました

 

ほどなくすると、ぼくの中で意外な事実が発覚しました

「24時間対応」が基本だと思っていた在宅診療所のおよそ半分は、24時間化していない(在宅療養支援診療所となっていない)ことが分かったのです
(※2017年4月 「在宅医療 その2」中医協より)

つまり、日中は診療所の先生が地域を守ってくれていても、夜間に状態が悪くなったり、困ったことが起きてしまうと、患者さんたちは救急車を呼ばざるを得ない状況であることが分かりました

 

そして、診療所たちが24時間化しない最大な原因は、

「人手が無いから」

でした

 

このような事実が分かった時点で、ぼくは

「プレイヤーとして在宅医療を実践するとともに、地域単位で人手不足を解消し、その全てを24時間化するような仕組みづくりをしたい!」
「それによって、せまい地域でも良いから、病院で“無駄な救急搬送”と呼ばれる問題を解決したい!」

と思うようになりました

 

しかしながら、

 

よし!じゃあクリニックを作ろう!!とやるのは、時期尚早だと当時から思っていました

 

もちろん一つ目は臨床能力の問題です

その時点では、在宅医療の経験は初期研修の際の1か月しかなく、経験が圧倒的に足りていません

 

そしてもう一つは経営の問題です

もしも、本気で「地域を守る仕組みづくり」を実践する場合、将来的には地域を守るものとして、かなりしっかり経営者としての顔も持っておかなければならないだろう、と確信していました

 

それゆえ、無理に急いでクリニックを作るよりもまずは、在宅医療の勉強、そして将来の経営者としての手腕を磨く必要がある!

そう考え、自分のキャリアを選択することにしたのでした

 

 


・・
・・・

 

さて、やはり書き出すと長くなってしまったので、今回はここまでとさせていただきます!

次話、ついに就職を捨てて起業に至った当時の心境、そして、起業を選んでから今に至るまでの心境、実は全てを失いかけた2020年3月のドタバタなどなどを綴っていきたいと思います!

それでは今回はこれにて!

インターン募集

株式会社メドフェアではまだまだインターン生の募集をしています!

医師2名で立ち上げたベンチャー企業で、一緒に会社を大きくしていきませんか?

詳しいお話を聞きたい方はこちらまで!
igakushoreview@gmail.com

前の記事
次の記事
Pocket

Leave a Comment